今日は東日本大震災から丸4年になります。
その当時のことは、鮮明に覚えています。援助に向かう自転車を漕ぎながら、電柱がグラングラン揺れていて「地震だ!」と少したってから気づきました。
渋谷の街には人が出てきていて、防災無線でなにか言っているのはわかりました。
利用者さんのお宅につくと、玄関先に飾ってある額縁に入った絵が落下して、ガラスが割れて飛び散っていました。利用者さんは無事でしたが、余震が続きました。
しばらくするとテレビで津波が押し寄せている映像が流れだしました。
私の実家が沿岸部でしたので、「もしかしたら、危ないかもしれない」と思いました。震源地は私の田舎の真横でした。
それから2週間は実家と連絡が取れませんでした。希望を持ったり、絶望感に襲われたり、落ち着かない日々でした。
なんとか全員無事でしたが、しばらくして友人からメールが届きました。
「○○ちゃん、遺体で発見されました」
中学、高校と同じ部活で常に一緒にいた友人です。幼い子供もいました。
昨年、中学の同窓会と慰霊祭が行われ実家に帰りました。この震災で中学の同級生4名がなくなりました。会場には4人の中学時代の遺影が飾られていました、みんなすすり泣いていました。
最後に中学時代の生徒会長が言いました。
「みなさん生きてください、この4名の分まで・・生きられなかった4人の分まで」
3.11を迎えた今日改めて命のはかなさと大事さを思います。
更地になり、高校もすべてがこわされてしまいました。頑丈な建物も骨だけがのこり流されてしまいました