こんにちは!代々木公園店(初台)の店長です。
もう、ずいぶん前の話です。私が下北沢店に異動となり、あるご夫妻の担当となりました。そのご主人が今回の主人公。私の今までのヘルパー経験で最も心に残っている利用者さんです。(自費サービスもご利用の方です)
要介護5認知症で寝たきりの奥さんを自宅で介護しているNさん
一見、気難しく、怖そうな雰囲気のご主人のNさんですが、要介護5の認知症で寝たきりの奥様の介護をしながら、お二人で生活をしていました。お二人には、お子さんがいなくて、奥様の介護をNさんだけで頑張っていました。
さすがに、ひとりで全てやるには難しく、ヘルパーと看護師さんに排泄介助や保清介護(体を拭いたりなど)を手伝ってもらっていました。でも、今まで全く、やったことがなかった家事は、奥様の代わりにやらなければならなくなりました。それはそれは、大変で分からないことだらけだった・・・と仰っていました。
『現役の頃、家の事は全て妻に任せ、自分は好きなことだけやっていた。迷惑も沢山かけた。だから、今度はわしが妻の世話をするんだ』
奥様は認知症以外にも糖尿病を患っていて、食事にも気を配らなければならない。Nさんだけではどうにも出来ませんでした。
糖尿病の事、糖尿病食について調べたり、地域の男性調理教室にも通い、お料理の勉強もしました。調理教室は数回で辞めてしまいましたが(笑)、奥様の為なら何でもチャレンジする方でした。
Nさんは、奥様の為に沢山の本を読み、分からないことがあると質問して来られる。私には、答えられる事もあれば、勉強不足で答えられず、宿題になることも多々ありました。
当時は、「何でこんな事を私が調べなければならないのか?」と、正直面倒くさく思う時もありましたが、Nさんの奥様への想いを傍で見ていると、やらずにはいられなくなりました。私自身、Nさんのお陰で得た知識も沢山あり、今思うと感謝しかありません。
Nさんの奥さんへの想い。私たちの想い。
そのうち、Nさんの奥様への純粋な想いに対し、私達は徐々に何かしてあげたい、力になりたいと思うようになりました。
Nさんは一見凄く怖い顔なのですが(笑)、笑うととても可愛らしい方。そのギャップがスタッフ全員、大好きだったのかも知れません。
Nさんは、奥様の好きな花が眺められるようにと庭の見える部屋にベッドを置き、庭に沢山の花を咲かせていました。
ある日、Nさんにチューリップの球根を100個買ってきて欲しいと頼まれました。どうするのか?尋ねると『妻が好きだから、庭一杯に咲かせるんだ』と、照れくさそうに笑って仰っていました。
素敵だな、と思ったと同時に、誰がこれを埋めるのか・・・?
そう、私達でした (笑 自費のサービスで頑張りました・・・)
いいんだ、家族のようなもんだ・・・
いつからかNさんが、痰の絡んだ咳をするようになり、体調を崩し始めました。1日2箱タバコを吸うヘビースモーカーでしたが、さすがに、咳が酷くなり、本数は減っていました。
大学病院を紹介され、Nさんの通院介助のため、付き添って検査に向かいました。
結果を聞くのに診察室へ入ると
『ご家族の方ですか?』と先生に聞かれました。
『ヘルパーです』と私が答えると
『いいんだ、家族みたいなもんだ』とぶっきらぼうにNさんが答えました。
この時、自分の中で何か熱いものが込み上げてきました。
検査結果は、肺癌。
もっと詳しい検査をする必要があるとの事。後日、再度検査で通院。または、検査入院と言われました。
帰りのタクシーで
『こんなに元気なのに肺癌なんて事あるのか?』
ショックというよりは、信じられないという感じでした。レントゲン撮影しかしていないのに、そう診断された事も納得いかなかったようでした。
私は、ご本人がちゃんと受け入れないと、先に進めないという思いと、間違いであって欲しい・・・という思いで、セカンドオピニオンを勧めました。
ケアマネジャーより
Nさんが1週間位、検査入院をしなければいけないかもしれない。その間、奥様はどうするのか?
Nさんは「ヘルパーさんが泊まってくれたら安心だ」と仰っているとお話がありました。Nさんの状態を伝え、ダメ元でヘルパーさん達に頼んでみました。
『もし、Nさんが検査入院する事になったら、泊まりでYさんの介助入ってもらえますか?』
すると皆が『Nさんの為なら、やるよ!!』と快く引き受けてくれました。
みんなも、Nさんには色々言われたりする事もあったけど、自分と同じようにNさんを思ってくれている事に嬉しくなりました。
セカンドオピニオンでも、検査結果は肺癌・・・・。その事実を、Nさんも私達も受け止めるしかありませんでした。
もうNさんのことがわからない奥さんだったけれど。
結局、奥様がその後入院する事になり、私たちの泊まりの介助はありませんでした。奥様は入院し、病院に居るので安心なのですが、Nさんは心配ばかり。最初は、ほぼ毎日お見舞いに行っていました。
ある日、Nさんと共に、奥様の病院へ行きました。奥様はNさんに逢っても、誰だか分かっていないご様子。
一緒に写真を撮っても、ニコリともしない奥様に、小さな声で『笑え』と言うNさん(笑)。
自宅では、インシュリン注射もNさんが、奥様に打っていました。
注射を打とうとするNさんに向かって、
奥様は『先生、やめてください!!そんな事はやめて下さい!!』と大きな声で叫び、
Nさんは『えーい、うるさい!!』と言わんばかりのしかめっ面で、奥様の手を払いのけ、インシュリン注射を打ち、無言で立ち去る。
そんな光景を思い出します。
それから少しして、入院中の奥様の容態が急変しました。
Nさんも翌日病院へ駆けつけ、危険な状態と医師に告げらる。自宅に戻ると直ぐに、部屋の片付けをしたいと連絡がありました。私たちは、可能な限りお手伝いしました。
それから3日後、奥様は永眠されました。
100個のチューリップは咲いたのに・・・
Nさんは『妻を残して、先には逝けない』と、ずっと仰っていました。その奥さんを失ったのです。
私達もスケジュールの合間を縫って、奥様と最期のお別れをしに伺いました。Nさんは体も辛い中、喪主を務めあげ、無事に葬儀も終えました。Nさんも安心したご様子でした。
徐々にNさんの体調に、明らかな変化が訪れました。食欲は落ち、体を起こしている事が辛くなり、横になる時間が少しずつ増えてきました。
医療は、緩和ケアに入ろうと準備を進めていました。それでも、週に何回か、私たちに話し相手としてきて欲しいと仰って下さいました。
呼んでくだされば、いつでも行きます。と伝えていました。
それから数日たち、朝、ヘルパーが訪問するとNさんは不在。昨晩、体調不良を訴えたので、義理の弟さんが病院へ連れて行き、そのまま入院したそうです。
すぐに集中治療室に入り、面会も出来ない状態で、これから検査をするとの事でした。2日後、少し状態は落ち着き、緩和ケアに移ったのですが、肺癌は進行しており、他への転移も見つかったのでした。
今は元気に看護師さんと話しているが、近いうちにコミュニケーションも取れなくなるだろうと、お医者からの話でした。
お見舞いに行きたいと想いながらも中々行けずに2週間が経ちました。
義理の弟さんから『私が見舞いに来ない』とNさんが言っていると聞きました。
会社の許可をもらい、みんなの寄せ書きを持って、スタッフ1人とお見舞いに伺いました。
ご家族以外の面会は出来ないと受付で言われましたが、義理の弟さんに病院が連絡して了承を得て会う事が出来ました。Nさんは、入院前より痩せてしまい、意識はハッキリしていてお話も出来ましたが、とても辛そうでした。
目も見にくくなっていたので、持ってきた寄せ書きをスタッフが1人ずつ読み上げました。Nさんは黙って聞いています。
そうしている間もNさんは必死に戦っている…私は必死に涙を堪えました。
突然、Nさんが言いました。
『入れ歯は大事なんだな〜』
以前、奥様の介助の時に義歯をはめる事や、義歯洗浄など、口腔ケアをする事の大切さが分からないと仰っていて、何度も何度もNさんにその大切さを伝えてきました。
やっと、その意味を理解したと仰っていました。
病室を出る時、握手をして『Nさん、またね』と声を掛けると、Nさんは片手を少しあげて答えてくれました。
翌日、義理の弟さんが来た時には、もう話も出来ない状態で、私たちとの会話が最期の言葉だったそうです。
義理の弟さんに、
本人はずっと私たちに会いたがっていた。
最期に会えて、寄せ書きも頂いて、とても嬉しかったと思う。
きっと、待っていたんですね。
会うまで頑張っていたんですね。
と、仰っていただきました。
あれから数年が経ちました。ご自宅の前を通るたび、Nさんご夫妻の事を思い出します。
Nさんの命日には、Nさんを思い出し、空に向かって話しかけています。